村民憲章

  1. 村人はたとえ停電しても音楽を表現できる資質を有する者でなくてはならない。
  2. 村人は互いに切磋琢磨し、より高いレベルの音楽を追求しなくてはならない。
  3. 村人は自分で演奏しなくてはならない。めったやたらに意味もなく人工知能による無人演奏を利用した場合は三万円以上弐拾万円以下の罰金刑に処し、村人全員に一杯奢らなくてはいけない。ただし根拠のある使用に関してはこの限りではない。
  4. 村人は自然体で音楽を奏でなくてはならない。めったやたらに意味もなくドラムループを使用したものは無期懲役の刑に処す。
  5. 村人はいつ何時でも「歌心」を大切に持ち歩かなくてはならない。
  6. 「永遠」「君と出逢った奇跡」などの陳腐な言葉を使用したものは即刻退場処分とする。
    などなど。 こんなレーベルに興味をお持ちの方、デモをお聴かせください。

なつし聡

1985CBS/SONYより木村聡の名で『風色のリトグラフ』をリリース。メジャーデビューするも鳴かず飛ばず。

1987年、当時のメジャーレコード業界のやり方に激怒し、プロダクションと大喧嘩。録音していた2ndアルバムはお蔵入り。

1988年、POLYDORに移籍。アルバムを録音したが担当だった制作部長が平に降格となり、退職。アルバムは再びお蔵入り。

2000SONY傘下の音楽出版社と業務委託契約。新人発掘とプロデュース業務を開始するが同社の消滅とともにフリーとなる。この間、高橋真梨子、サミー・チェンなどに楽曲提供あり。

2012/2/22 アルバム「キャッチボール~ソングブック・オブ・マイ・ライフ」発売~第5CDショップ大賞関東ブロック賞受賞。2015/1/22アルバム「時間割」発売。

2004年からはコミュニティFMでラジオ番組『ユメミノ音泉村~音楽!源泉かけ流し』のDJも行っており、現在も継続中。
また最近は、冤罪犠牲者の会で事務局長を務め、冤罪撲滅を目指す活動を続けている。

はやぶさジョーンズ

はやぶさジョーンズ、またの名をサノヒロアキ。甲斐の国生まれ、甲斐の国育ちの甲斐性無し。音楽だけが生き甲斐のナイスガイ。虹色遊園地などいくつかのバンドを経て、20004月よりはやぶさジョーンズを始動。インディーズレーベルよりサイケなミニアルバム『黄色い夢』『杉の木のりんご』の2枚をリリース。2003年、メジャーデビュー。

2006年、はやぶさジョーンズ=サノヒロアキとなり、再びサイケデリックな音作りを開始

2009年に発売したアルバム『赤と黒』はサイケロックの最高峰との呼び声も高いシュールな作品。コアなファンの間でカルト的評価が高まりつつある。

Marija

カナダのカルガリー在住。95 年にバンクーヴァーでのショーで左耳の聴力を完全に失うものの、不屈の精神でリカバリー。再び歌えるようになるまでに 8 年の歳月をかけた炎のロック・ヴォーカリスト。 2009 10 月、初のフルアルバム『On The Inside』を発売。プロデューサーにはメタリカ、スキッドロウなどを手がけてきたマイケル・ワグナーを起用。歌に賭ける情熱とライブでのパフォーマンスは常に高い評価を受けている。

本国カナダで精力的にライブ活動をこなすかたわら、ひょんなことからユメミノ音泉村の女将に就任。ユーモアのセンスも折り紙つき。レーベル初の女性アーティストとしてユメミノ音泉村から日本盤リリースに向けて準備中。 マリジャの歌はグラミー級です! 2010 年冬、『Human Again』のプロモーションビデオリリース。 そして 2011 8 月、再びマイケル・ワグナーとタッグを組んだ待望のニューEPNothing Is So Then What』をリリース。 

桜井昌司

1967年に起きた強盗殺人事件、布川事件で容疑者となる。20歳で逮捕、無実の罪で29年間の獄中生活を体験。49歳で仮出所。2011年に無罪を勝ち取ったとき、64歳。人生の最も活動的な時期の時間と自由を奪われながら、全国を東奔西走し、冤罪撲滅と日本中の冤罪犠牲者を支援する活動に人生を捧げた。2021年には国家賠償請求訴訟に完全勝利。すべての裁判に勝利した唯一の人である。

「不運だったが不幸ではなかった」という言葉が示すように、冤罪事件に巻き込まれたことで、人生について深く考え、素晴らしい出会いに感謝し続けた。獄中で作詞作曲を覚え、自作曲を録音した作品も制作した異色のシンガー・ソングライターでもある。